オトナの感想文 第一回「やがて君になる」

やがて君になるのグラフ

 

 怪しいグラフをお出ししましたが、オトナの感想文ではその作品独自の5つのパラメーターをグラフにしたいと思います。
 なお、このグラフは基本的に全て5になります。グラフにした意味がないグラフです。全てが無駄。
 とはいえ、特にこの作品に関してはわかりやすいラベリングが難しいと思うので、特にグラフが怪しくなっています。
 他の作品なら、もっとマシになるはず……。

 

 

 まずはこの作品については、アニメからの出会いでした。
 なんかすごい百合アニメがあるらしい。そう聞いて視聴を始めて……。

そんな上手い展開あるかよ。出会いは常に唐突なんじゃ

 はい、嘘をつきました。私は嘘をつきました(首から看板をぶら下げて)。
 2018年か2019年だったかと思います。long long ago……
 大阪で「百合展」というものがありました。いえ、毎年あったみたいです。ですが次からはアレの関係でオンライン開催になったりならなかったりして。私自身、あんまり娯楽を楽しめる精神状態でもなかったため、詳しくその後の動向は追えてないんですが。
 とにかく、そのイベントにふと行ってみたいと思い、そしたらどうやらキービジュに「やがて君になる」という作品が採用されている。露骨な女の子同士の絡みとかじゃなく、ほどよく爽やかな「てぇてぇ」という言葉が似合いそうな空気感。
 お、これはいい作品やろな。と思い、百合展の前日。一気見したんですよ。アニメを。
 浅学ながら、それまで全く知りませんでした。だって教えてくれなかったじゃん!誰も!
 ネット上ですら孤独に生きている人間は、恐ろしく感度が低いのです。きっと3000倍になって、ようやく人と同じぐらい。それぐらいの鈍感っぷり。
 なので、原作を読むお金も時間も足りない。ならばアニメを、だ。と一気見して、まあ、沼ったんですよ。わかりやすく。
 そこで描かれていたのは、百合展のキービジュから受けた印象とほとんど変わらない、爽やかな女子高生同士の空気感でした。
 あ、いえ、正確にはもうちょっと色々あります。それなりに嫉妬とかもありますし。
 後、アニメになるとキスシーンはやっぱり扇情的です。全年齢向けとしてやれる程度の描写ですけど。
 でも、思った以上に奇麗な世界がそこにはあったのが印象的でした。
 実は私、それまではあんまりしっかりと百合作品に触れてはいませんでした。
 よくあるきらら系の作品というのは、基本的には女の子ばかり出ますし、その中でカップリングも完結しています。つまり、女の子同士の恋愛に近い描写もある訳ですが、まあそれは女の子しか出ない世界でお話やるなら、といういわば予定調和的な世界です。
 そしてもちろん、きらら作品にも男子が出てくるものもあり、正直言って私はそういうタイプが好きになることが多いんで(ブレンド・Sなど)、きらら系を嗜んでいるからって、百合にすごく造詣が深い、ということはありませんでした。
 古典的な百合アニメの名作はいくらかありますが、私は触れてませんでしたし。そもそもやっぱり、百合作品って同性愛ゆえの不理解とか、難しさとか、葛藤とか。そういうのを出した「重い」作品ばっかりだろう、という先入観がありました。さもなくば、女同士だからって思いっきりエロエロか。
 なので、きっちりとそれを主題にした作品として触れたのはやが君が初めてだったんですが、今、はっきりと言えるのは。

 

これは百合作品じゃありません

 

 アニメはまずはdアニメストアで見ましたが、その後、ニコニコでも見ました。
 普通、ニコニコでは課金しないと2話以降を見れませんが、ちょっとしたウラワザがあります。それは。

他の配信サイトの窓の不透明度を下げ、ニコニコのコメントを透かして見る方法です

 ニコニコでは有料動画は、真っ黒な画面で再生されますけど、再生自体はできて、コメントも見られます。
 画面には課金を促す表示がありますが、それはAdblock系統のプラグインで消すことで、真っ黒な画面にコメントが流れるだけの画面を作ることが可能。
 そこにアニメ本編を重ねて表示し、同時再生。それで擬似的にコメントありでアニメを見れるんです。
 まあそれはいいとして、確かそのニコニコのコメントの中に「作者は別に百合作品のつもりじゃないらしいよ」というものがあったのだと思います。
 当初は「ふーん……?まあ、同性愛を描いてるけど、普遍的な恋愛の話だよ、って感じ?」と適当に理解していたんですが、最終巻まで読んだ今ならわかります。
 もちろん、この作品には同性愛は一般的には普通なことじゃないから。おかしいことだから。という部分も描かれてはいます。
 ですが、それは一面でしかなく、むしろ「仕方がないから描いている」部分がいくらかあるのではないか、と思います。
 もちろん、それがおまけである、とまでは言いません。当然、それも大事な要素の一つではあると思います。
 とはいえ、それは主人公である侑の恋敵……恋敵?である佐伯先輩周りでよく描かれる要素であり、メインである侑と七海先輩の二人の周りには意外なほど出てきません。これはまあ、侑が先輩に恋愛感情を抱くのが中盤以降である点。先輩自身、積極的に付き合いたいとか、その先のことをしたいとか、そういうことを言わないからだとも思うのですが、メイン二人の関係は「女の子同士だから」という冠言葉を付けることなく、進行していきます。
 もちろん、いきなりキスしたりっていう衝撃的な展開がある訳で、これは同性だからこそできると思います。男女でやれば冗談では済みませんし、するはずがないでしょう。
 しかし、スキンシップのハードルが低いという以外、二人の関係は女同士だからこその問題はほとんど出てきません。それどころか、ハードルの低さはプラス要素ですらあります。
 結果的に角が立つような言葉になることをお許しいただきたいのですが、忌憚なく正直に、というコンセプトなので言わせてもらいます。

侑と七海先輩の世界において、同性愛というのは問題じゃないんです

 より正確には、七海先輩の抱える問題の前で、同性愛という問題は些末なことでしかなく、彼女が“彼女になる”ために重要なのが侑と佐伯先輩から向けられる好意だった、というだけ。
 究極的には。はっきり言って、このお話は主人公が男性でも成立自体はしたと思います。
 もちろん、それでは描き方が全く違ってきたし、今ほどのエモさは生まれないでしょう。女の子同士がいちゃいちゃすることの絵的な可愛さとかではなく、もっと別の面で。
 同性愛の難しさを下敷きにしつつ、でもそれを舞台装置の一つとしてだけ活用し、そこは主題じゃないんだよ、と一人の何かを失った女子高生が自分を獲得していく過程を描いていく。それがこのお話の本質なのだと、今は理解しています。
 もちろん、これは私が感じただけのことです。他の人は「いや、女の子同士だから意味があるんだよ」と言うかもしれませんが、私は侑が男の子でも、侑が侑なら成立していたと感じています。
 もちろん、だからといってこれを結果的に百合作品にしたのは、それが好きな人を狙ったからだ。男女の恋愛にすると個性がなく埋もれるからだ、と言うつもりもありません。
 百合作品ではないけど、女の子同士が恋愛をする。それがやがて君になるという作品だと思っています。
 これは本当に難しいというか、実際に読んでもらわないと伝わらない感じだとはわかっているんですが。今となってはそうとしか思えないんです。
 だからこそ、作者さんが「百合作品のつもりはない」と言ったのが今なら、よくわかります。
 そもそも百合の定義自体が、非常に難しく、曖昧なものだと思います。
 私はよく、その定義について、「源氏物語」を引用します。

 

 残念ながら源氏物語は長大すぎて、学校の古典の授業では最初の「桐壺」の段ぐらいしかやらないと思います。これが実にもったいない。
 なので、序盤のあらすじをさっくりとお話します。

 

 ある時代、天皇の側室に桐壺という女性がいました。彼女は家柄もそれほどよくなく、位の高い側室ではありませんでしたが、特に天皇の寵愛を受けていました。
 しかし、それをやっかむ側室は多く、いじめられてばかりでした。
 最終的に桐壺は天皇の子を産みますが、いじめられていた心労ですぐに亡くなってしまいます。
 生まれた子は、このまま皇子として育つと不幸になると占いがあったため、貴族の子として育てられることになります。彼が後の光源氏です。
 その後、天皇は新たな側室として藤壺という女性を迎えます。
 彼女は家柄もよかったのですが、天皇が寵愛を注いだ理由は、桐壺によく似ていたからでした。
 成長した源氏は、ひょんなことから藤壺に出会い、母の面影を感じて強く惹かれます。ですが、実父の側室という、複雑な間柄であり、天皇の側室を奪うこともできず、ままならぬ時間を過ごします(実は1回、寝てます)。
 その後、源氏は旅行先で小さな女の子と出会います。彼女は実は藤壺の姪であり、藤壺、そして桐壺によく似た少女でした。
 彼女の母親が病気ということもあり、源氏はその子の後見人になると言い、引き取ります。俗に紫の上、小紫と呼ばれる少女です。

 

 はい、さくっとまとめました。多分、紫の上周りの血縁関係は正確ではなかったと思いますが、まあそういう感じと思ってください。
 ライトに言い換えますね。

源氏は母親によく似た幼女が気に入ってお持ち帰りしました

 マザコンのロリコンとかいう、やべーやつです。
 実際、世間では源氏はロリコンという評価をよくされていると思います。
 が、これは紫の上が藤壺によく似ていたからであり、別に幼女を狙い撃ちした訳ではありません。
 つまり、これはロリコンとは違うだろう、というのが私の考えです。というか、茶化して言われるだけで、明らかにロリコンとは違うでしょう。他の幼女に手を出した訳じゃありませんし。なんなら年増にも手を出してるので。
 私は○○コンプレックスについて、全てこれと同じ定義を持っています。
 たまたま好きになった人が幼女やきょうだいだった。それで即、ロリコンとかシスコンになる訳じゃない。というか、シスコンは別に恋愛感情を持つ訳じゃないと思いますが……。
 これは百合についても同じことを思っていて、たまたま好きになった人が同性であった。それは百合だと思います。
 一方、初めから恋愛対象が女性に絞られている。それが同性愛者、レズビアンであると解釈しています。
 やが君に戻ってくると、七海先輩や侑は前者、つまり百合。佐伯先輩が後者、レズという理解になります。
 ただしこの定義の難しいところは、百合だからといって、ガチに同性愛を突き詰めない訳ではない、という点です。
 将来がどうなるかは、やが君では描かれてませんが、二人は多分、いずれ両親にその関係を打ち明け、一緒に暮らすようになるのだと思います。それが彼女たちの幸せなので。
 でも、それを見た人は皆「彼女たちは同性愛者だ」と思うことでしょうし、それを本人たちは否定しないと思います。
 が、何かが違えば男性と恋愛、結婚している未来もあったことでしょう。それこそ、侑が男性なら、男女のカップルになっていました。
 結果的に選んだ道がそうだっただけ。でも、見え方としてはレズになる。そこが百合とレズの定義の難しさだと思います。
 なお、佐伯先輩についてはスピンオフ小説を読めていない(また今度読みたいねぇ)訳ですが、作中で既に女性の先輩に告白している。次に七海先輩に。そして最終的に女性の恋人がいる上、本人も同性愛を自覚しているため、これは疑いようがないと思っています。

 

 とにかく、やが君のこの不思議なまでの爽やかさは、同性愛を扱いながら、それを主題にしてはいない。だからこその唯一無二性だと思います。
 創作者の気持ちからすると、百合を描く場合、葛藤を描きがちだと思います。だって、それは格好の題材だから。
 「こんなのおかしい」「同性同士なのに」「他の人に気持ち悪がられる」開き直ったレズじゃないからこそ、百合女子はそういった葛藤を描けます。もちろん、レズ女子の懊悩はやが君でも佐伯先輩が語った通りです。それはそれで深いものがあります。が、百合の場合は突発的に同性愛と付き合うことになるため、よりその心の動きを描きやすい。それが楽しい、見どころになります。
 ところが、やが君はそれよりも、タイトル通りの七海先輩が七海先輩になるための過程と、その中にある問題を描くことに注力していました。
 だからこそ、同性愛の難しさ云々よりも、爽やかな青春ものとしての側面が強くなり、それでいて絵面は女性同士で美しいという、NLとGLのいいとこ取りをしたような作品となっています。それでいて、ガワだけ使ったのではなく、ちゃんと佐伯先輩という同性愛者をも出し、更に作中にはバイ(?)の女性、男女のカップル、男女のカップル未満を出すことで、色々な恋愛の形を例示、その上で侑と七海先輩という百合カップルを描き出しています。
 ここが本当に見事だと思う点で、ともすれば百合作品は百合恋愛ばっかり扱いがちだと思うんです。この世界では女性同士のお付き合いが当たり前なんですか?と。
 しかし、やが君はそうではなく、ちゃんと男女カプも出すし、不自然でない程度に女性カップルも出す。まあ、主人公の身近に他の女性カップルがいたりするのは、お話の都合だとは思わずにはいられませんが、それはいいんです。ご都合主義とかの話をしているんじゃない。
 多様な恋愛事情を出すことで、侑と七海先輩の関係もまた、一つの恋愛の形として存在していていいんだ。そう肯定する優しさ、包容力があります。

 

 最終盤での印象的なセリフとして、七海先輩は侑が言う「恋人」や「彼女」といった言葉を自分では使わない、という場面があります。
 それはそういった言葉で定義される単純な、型にはまった関係ではなく、二人だからこその「七海先輩と侑」という関係だから。
 それは変わっていくし、簡単な言葉では言い表せない。二人だけの恋愛の形。恋愛という言葉すら、不適切かもしれません。二人が一緒にいたいという関係性。そこに性別なんかは関係なく、だからこそ、恋人という言葉に押し込めるのは窮屈で、何か違う。そう言われているのだと思います。

 

 一応、感想部分については5000字程度で収めようと思っているので、そろそろおしまいですが、最後に。
 この作品は、同性愛やそれに類するマイノリティーを扱った作品が苦手な人にこそ、触れてもらいたいものだと思います。
 ただし、キスや最終盤など、生々しい同性愛描写もあるにはあります。それがどうしても合わないという人はいると思います。
 なので、まずはさらっとアニメを見るぐらいから始めてみて、いけそうなら、より深みに足を踏み入れてみてもよいのではないでしょうか。
 あくまでこの沼は、深くとも爽やかです。
 青春ものが好きな人にぜひ、触れてもらいたい作品でした。

 

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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