オトナの感想文 第一回「やがて君になる」

あとがき

 あとがきって素人が書くのはクッソ寒いと思います。
 と昔から思っているんですが、それでも書きたいと思ってしまう魅力があると思います、あとがき。おー、サムサム。
 あ、というか私は素人ではなかったんでした。作家ではありませんが、少なくともシナリオライターとしてプロでした。あ、じゃあいいんだ。
 僕はここにいていいんだ……。
 おめでとう、おめでとう、おめでとう……。

 冒頭にもさらっと触れましたが、ここしばらく、あんまり娯楽作品を楽しめない状況にいました。
 いえ、ぶっちゃけ今もそこからは完全に脱却できていません。
 ですが、好転の兆しがあるのも事実なので、少しずつリハビリをするように、アニメやマンガ、ラノベなどを見始めています。
 そんな中、かつてアニメを見たきりで、原作も買ってはいたけど、読んでいなかったやが君を読み始めました。
 昔はあまり「これは百合作品ではない」という主張を持っていなかったと思うんですが、最終巻まで読んで、その強烈な爽やかさを感じ、この感想文を書くに至りました。
 これはネタバレというか、なんか言うのは野暮なことだと思うんですが、最後の最後まで忌憚なき意見ってやつッス。
 「やがて君になる」というタイトル、本文中では七海先輩が自分を獲得するお話だ、という解釈の上で進めました。
 が、これはダブルミーニングであり、中盤からの侑が七海先輩を好きになってしまう展開について、「(侑が)やがて君(=七海先輩のように相手が好き)になる」という意味である、とも理解していました。
 これはアニメのEDである「hectopascal」の歌詞に基づいた、私の中で古い解釈です。
 侑が七海先輩のように、七海先輩が好きになってしまう。でも、七海先輩は侑が自分を好きになるのを求めていないから、関係が壊れてしまう。そういった歌詞であると理解し、やがて君になるとは、なってはいけないけど、侑が七海先輩のようになってしまう、というタイトルだと理解していました。
 が、原作を読む中で、ああ、この作品の本当の主人公は七海先輩なんだ、と気付く中で、本文の通りの解釈に至り、それまでの自分の中での主流な説はサブ解釈として鳴りを潜めていきました。
 とはいえ、それを完全には捨てたくないので、あとがきということで。
 過去の自分の名誉のための弁護じゃないけど、これも決しておかしな解釈ではないですよね。

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