「もうすぐできるから、大人しく待ってなよー」
「う、うん。それはいいんだけどさ」
火にかけられた鍋の上には、丸々と太った大きなキジが丸々一羽、乗せられている。
こんな田舎の村では新鮮な肉を使った料理を食べられる時点で大変な贅沢であり、祭りか誕生日にしかこんな贅沢は許されない、というほどだ。
しかし、今日は別に祭りなど開かれていないし、自分が今日生まれた記憶もない。
ユートは着々と完成していくキジの丸焼きに困惑していた……訳ではなかった。
「ね、姐さん。いい加減に着替えて……」
「えー、いいでしょ?今、服は乾かしてるんだし」
「俺の服でよかったら貸すから」
「ユートの服ちっちゃいもん」
「姐さんがでっかいんだよ……」
でん、と目の前に突き出されている形のいい白いお尻。
このキジ料理を振る舞ってくれているのはユートの幼馴染のお姉さん、アニエスだった。
村長の娘で、いつからか村の男に混じって猟師業を始めた彼女は、銃の才能を開花させ、今や村一番の腕利きだ。
そんな彼女が今日は立派なキジを仕留めてきて、そのままユートの家に押し入り、食べさせてくれるのだと言ってきた。
と、ここまではわかる。理解できる範疇の話だったのだが、途中で雨に降られたために彼女はびしょ濡れで、ユートの家に入ってすぐに服を脱いでしまうと、下着一枚の姿になって調理を始めたのだ。
キジの丸焼き自体は、そう複雑な工程は挟まない。羽根をむしり、首を落として血抜きをした後、内臓を取り出した後は、火にかけて焼き続けるだけだ。
そうしていると、キジ自身から油が溢れ出してくるから、それをすくっては肉にかけてやるのを繰り返すと、皮がパリパリに仕上がり、最高に食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。
が、今のユートの関心事は食欲ではなく、いつまでもアニエスが柔肌を晒していることだった。
「姐さん、裸でいると油が跳ねたりしたら危ないから……」
「そんなヘマはしないって。後、それだと全裸みたいじゃん」
「ほとんど変わらないよ……」
きっと彼女の中では、十年前から時が止まっているのだ、とユートは諦めていた。
昔からアニエスはガサツというか、あまり女の子らしいといった感じではなかった。ただ、そんな中でも可愛らしい一面はあったし、何よりも成長するに従って、びっくりするほどに魅惑的な――女性らしい体つきに成長していった。
今の村長は誰もが「でっかいおっさん」と言う感想を持つほどに高身長で、なおかつがっしりとした体つきの歴戦の猟師だが、その遺伝子をしっかりと受け継いだアニエスは身長が高く、しかも目を見張るほどの美人ともなると、村の若者で意識しない者はいない。
はずだが、最大の問題としてアニエス自身が自分の容姿を魅力的だとは認識していないようで、獣を撃つか肉を食べるかしか考えていない。色気より食い気の権化という訳だ。
「というか、なんで姐さんは俺ん家に?自分一人で食べればいいのに」
「あんまり美味しそうなキジだからねー。一人で食べるのはもったいないし、ユートにおすそ分けしてあげようと思って。ほら、もうできるよー。うーん、最高に美味しそう!他にも何匹か獲物は取ってきてて、そっちは野菜と交換したからね。いくらかはこいつのお腹ん中に詰めてるから、いい感じに油を吸って美味しくなってるよ」
「う、美味そうだけども、とにかく服をさ……」
「もーっ、細かい事ばっかり言ってるなー。そんなちっちゃい男じゃ、お嫁さんが来ないよ?」
「大雑把すぎる姐さんにもね……」
「あははっ、だってあたし、結婚する気なんてないしー」
「そうだろうね……」
アニエスとはつまり、こういう人なんだ。
ユートは幼い頃からその性格がわかりすぎるほどにわかっているため、ドキドキするだけ無駄だということもわかっている。わかっている、が……。
「(これを見て意識するなって言う方が無茶だもんな……)」
目の前でふりふりと揺れる、肉付きのいいお尻。
本人が全く気にしていなくても、胸は呼吸の度、発声の度に揺れてその大きさと柔らかさを主張するし、こうやって平気で半裸を披露するのだから、否が応でも意識させられてしまう。
意識するだけ損、と頭ではわかっていても、本能まで無反応でいられるほどユートは大人じゃないし、大人だってそれは無理な相談だろう。
「はい、出来上がりー!パンは用意してる?」
「あるよ。おかずに見合ってないしょっぼいパンだけどね」
「ふっふー、わかってないなぁ。美味しいお肉のアテは、しょぼいパンが一番!だってさ、お肉が美味しいのってつまりは、最初の一口でしょ?口の中に油が広がって、最高にいい気持ちになる、あの瞬間。その後はもう、いくら食べても最初ほどの感動は味わえなくなる。そこで、このぱさっぱさのパンだよ!口の中の油を吸い取ってくれるから、また新鮮な美味しさを楽しめる!これが美味しいパンを食べられる都会に住んでたら、こんな食べ方を知らずにいたんだろうから、田舎住みに感謝だよ」
「は、はあ。姐さんって本当、考え方が肉本位だよな……」
「当然でしょ!肉は命、肉は人生!美味しい肉を食べるために生きてるんだから!」
「(その結果が、そのぽよぽよの肉、かぁ)」
楽しそうに騒ぐアニエスの胸元では、彼女と同じぐらい激しく豊乳が揺れている。
下着はなんとも窮屈そうで、胸の重みに負けて今にも引き千切れてしまいそう。あまり直視はできない光景だ。
「じゃ、食べよっか!ほら、切り分けてあげるから」
「う、うん。ありがと」
「ほらほら、しっかり食べな~。食べなきゃ大きくなれないよ」
「俺はもう十分だよ……姐さんがでっかいだけだって」
「女に負けてどうする!男なら、もっとばんばん食べる!」
「いや、いくら食っても姐さんには追いつけないって。俺の両親も姐さんの両親ほどおっきくなかったんだし」
と、理屈で迎え撃つものの、アニエスはまるで聞いていない。そして。
「じゃ、いただきまーす!んふーっ!おいしいいいいいっ!!!」
「…………いただきます」
ばくりっ、という音が聞こえてきそうな勢いでアニエスはキジにかぶり付いた。
口の端から油が溢れ出し、子どものように口の周りをべたべたにしてしまう。
だが、彼女が食事をする姿はいつ見ても本当に美味しそうで、子どもみたいなのに、どこか魅惑的で色っぽくすらある。
「あむっ、んむっ、むっ、んふぅううっ!ほらほら、ユートももっとかぶり付きなよ!美味しいよ?」
「……俺、姐さんと一緒に飯食ってるってだけでお腹いっぱいになっちゃうよ。まあ、それとは別に食べるけどさ。……んっ、ホントに美味しい!」
「でしょー?最高だよね、ホント!!!」
「うん、うまい!姐さん、ありがとう。こんなに美味いもの食わせてくれて」
「どうせ食べるなら、誰かと一緒の方がいいでしょ?で、今日はたまたまユートと食べる気分だったってだけ!んふぅうっ!うまい、うまい!!」
肉、パン、肉、パン、と交互にかぶり付き、幸せを噛みしめるアニエス。
だが、そんな幸せそうな彼女を見ながら、ユートは彼女の優しさを噛み締めていた。
――ユートの両親が事故で死んで、もう3年が経つ。
あの日も雨が降っていて、ユートの両親は町に商売に出た帰り道、土砂崩れに遭ってそのまま助からなかった。
まだ仕事もできない幼い少年だったユートを庇護してくれたのはアニエスたち村長一家で、今はその恩に報いるため、村長の仕事や村のみんなの仕事を手伝って暮らしている。働くようになって、ユート自身も物やお金を手に入れることはできるようになったが、それでもまだ根本は村長一家に依存しているため、彼女たちにはいくら感謝してもし足りない。
それなのに、更にアニエスはこうやって美味しいものを食べさせてくれているのだ。
「ユート、手、止まってるよ?姐さんが食べさせてあげよっか」
「い、いいよ!自分で食べるから……」
「ほれほれー!」
「んむぅぅっ!?」
いいと言っているのに、無理やり口の中に肉をフォークで突っ込んでくるアニエス。
更に追撃として、小さく千切ったパンを放り込んできた。
「子どもは小さいことをうじうじ考えなくていいっての。あたしはこうやってあんたと一緒にいれるだけで楽しいんだから、変に恩に着ることないんだって」
「俺、もう子どもじゃないよ。働けるんだから」
「それでもあたしにとってはちっちゃくて可愛い弟だよ。姉が弟の世話を焼いてたらダメ?」
「ダメじゃないけど……でも…………」
「でも、何?」
「わっ……!?」
気がつくと、すぐ近くにアニエスの顔がある。
さっきまで美味しそうに肉を食べていて、今も口の周りを汚しているのに、大きな目で見つめられると……体が熱を持つのがわかる。
ユートにとっての初恋は、村に来たシスター、ローサだった。それは間違いないと思う。
アニエスは奇麗で可愛いけど、でも、恋とは違う。結婚したいという気持ちとは……違う。それは間違いない。
それなのに。
彼女の飾らない優しさに触れると、胸が熱くなる。幼い日、彼女に振り回されていた日々の思い出の中に、いくらかでも恋心があって、その種が今、実を結びつつあるのではないか、という気持ちになってしまう。
「俺も、姐さんにいいトコ見せたい」
そんな気持ちが、彼の前で“男”であろうとさせる。
いつまでも子ども扱いは嫌だ。一人前として、男として認めてほしい。
「バーカ、だからそんなの考えなくていいんだって。あたしはもう十分にあんたの事、男として意識してるよ」
「えっ……?」
「じゃないと、こうやって襲ってくれるのを待ってたりしないって」
「え、え、姐さん、そんなこと考えて……?」
「あんたさぁ、あたしの事、真剣にパーって思ってるでしょ?……あんた以外にこんな格好、見せる訳ないじゃん。あたしも子どもじゃないんだよ」
そう言ってアニエスは頬を赤らめ、急に乙女のように自らの人差し指を突き合わせ、もじもじし始める。
「あんたがローサに惚れてるのは知ってたよ。でも、その……あたしは、あんたが嫌いじゃないから。だから、簡単には諦められないし。でも、ローサも好きだから、奪おうとかそういう気持ちもないし。けど、やっぱりあんたは特別だから……ね?」
真っ赤な顔でそう言うアニエスは、今までユートが見て来たどの彼女よりも“女の子”で。
「姐さん。俺、上手く言えないんだけど……もっとずっと、姐さんの弟でいい、かな。これから先、どうなるかわからないし、どうなるとも限らないんだけど。どうにかなるまで、姐さんの“俺”で……」
絞り出すようにそんな言葉を口にしていて。そして、アニエスは。
「うん、それでいいよ、ユート。あたしの“ユート”でいて!」
彼女が覚悟と諦めを決めていたのはわかっていた。
だが、だからこそ、そんな彼女の傍にいられる時まではいたい。そう思っていた。
「(後俺、普通にロサ姉にフられるかもだし……)」
生誕祭の夜。ユートがローサの前でぶっ倒れるのは二ヶ月先の出来事である。