十二の月の末。
一年が十二の月から為ると決めた人物が一体、いつの時代のなんという人物なのか、多くの民衆は知らない。
しかし、この年も村の人々は自分の家でその日を静かに祝い過ごす。
――生誕祭。
敬虔な信徒でなくとも、この日を意識しない者はあまりいないだろう。
だが、そんな静かな村の小高い丘に、一人佇む女性がいた。
村唯一の聖職者であるシスター、ローサ。
都会の大きな教会から田舎にまで派遣されてきたシスターであり、たった一人で教会としての祭事や村人の相談役を担っている。ある意味で村一番の働き者であると呼べるまだ年若い女性だった。
そんな彼女は村で一番高い場所から、家々を見守っていた。
自然とその胸の前で手は組まれ、静かに目を瞑って祈りを捧げる。
「今年もこの日を無事に迎えられたこと。主に感謝いたします。村の人々も一人として欠けることなく、あなた様の誕生の日に立ち会うことができました」
彼女がかつて暮らしていた街からすると、南方にある村のために冬といえどその寒さはそう厳しくないが、僧服だけではさすがに体が冷える。ケープを羽織ってきてはいるが、それだけでは足りず、教会に戻ろうとした折。
彼女の目の前に一人の男性――少年が現れた。
「ユート君。こんな時間にお出かけですか?」
「ロサ姉こそ。寒い夜なのに……」
「主に祈りを捧げることは聖職者として当たり前のことですから」
「真面目だなぁ」
「生誕祭はやはり、特別な日ですからね」
もう帰ろうとしていたローサだったが、妙にユートがもじもじとしているようなので、どうしたものかと彼女も迷ってしまう。
「あの、何かご用ですか?」
「え、えっと、その……ロサ姉。ちょっと、さ」
「はい」
「あっ、うっ、あっ……う、うまい言葉が思いつかないから、このまま、はい、これ!」
何度も口をぱくぱくとさせていたユートは、唐突に小さな――木製の骨組みのようなものを突き出す。
「全然、上手くないけど……親父に教わりながら、作ったんだ。木組みのランプ。街では生誕祭には贈り物をし合うんだろ?だから、ロサ姉に……」
「私に贈り物ですか?ありがとうございます。すごく、可愛いです。丁度、自室に飾る照明器具がないかと思っていたところでした」
「ほ、ほんとに?」
「はい。素敵な贈り物をありがとうございます」
白い手でランプを包み込み、満面の笑みを浮かべるローサ。
その清純そのものな笑顔に、しばらくユートは目と、心を奪われてしまっていた。
「ですが、困りましたね」
「えっ……?」
「ユート君がこんなに素敵な物を用意してくださったのに、私にはお渡しする物がありませんから。これでは交換になりません」
「そ、そんなのいいよ。俺が勝手にしたことなんだし。今年一年、ロサ姉には色々と助けてもらったし……」
「いいえ。何かお礼は必要ですから。……手軽なもので、申し訳ないのですが」
ローサは困ったように笑った後、大きく両腕を広げ、少し身をかがめた。
「あっ…………」
そして、ぎゅっ、と左右からユートの体を包み込むように抱きしめる。
寒い冬の夜空の下だというのに、温かな感触が少年を包み込む。
ローサはその柔和な笑みや、清らかな声からすると意外なほどに、背丈も体格も恵まれている。
そのため、まだ少年の歳とはいえ、大人の仕事に参加できる程度には成熟しているユートより頭一つ分は身長が高く、体格も勝っているため、彼を抱きしめると完全にユートの体は埋もれてしまっていた。
「ユート君。あなたのことは幼い頃から見守っていますが、本当にたくましく、立派な青年に育ちましたね。あの小さな子が、こんな贈り物をしてくれるようになるだなんて、少し驚きました」
「俺はいつまでも子どもじゃないよ、ロサ姉」
「そうですね。ごめんなさい、子ども扱いして」
「……ううん。でも、ロサ姉にこうしてもらえるのは……嬉しいから」
ユートは自分も抱きしめ返そうとしたが、どこをどうしてもなんだか申し訳ない気がして、できないでいる。
そうしている内に、ローサは彼から離れていった。
「この村では伝統的に、生誕祭は家で静かに過ごすものですよね。ですが、街では教会に人が集まるものなんです。まあ、この村の教会を生誕祭の夜に開けたことはありませんでしたが……よければ、来ますか?」
「えっ……なんで?」
純粋な疑問を返すユート。
すると、ローサは少しだけもどかしそうに笑った。
「贈り物、これだけでいいんですか?子ども扱いだけで」
「え、えっと……!それは…………」
目を泳がせる。
それはつまり、そういうことなのだろうか……?
わからない、わからないが、ユートのできる答えは。
「お願い、します…………」
「いい子ですね、ユート君」
それから、二人はゆっくりと教会へと歩いていく。
途中、誰ともすれ違わない。こんな寒空の下、進んで出歩く人はいないのだろう。
ユートが外に出たのも……もしかしたら、と思ったからだ。決して教会に直行する勇気がなかったからではない。……ということにしたいと思っていた。
「もう少し小さなろうそくを持ってきていたら、早速ランプを使えたんですけどね」
手持ちのランプを揺らしながら、ローサは残念そうに言う。
彼女が持っていたのは、街から持ってきた大きなガラス製の鉄枠のランプだ。
それ用のろうそくは太く長いため、ユートのお手製のランプには入れられない。
「俺のは室内用だから、持って外を歩くようなものじゃないよ」
「それでも、です。どうせなら使いたいですからね」
少女のように言うローサに、自然とユートは頬を赤らめてしまっていた。
いつも優しく、自分よりも年上の村人をも親のように見守っているというのに、たまにこうして少女の顔を見せるのだ。
だから、こんなにも心がときめいてしまう、と。
「ユート……」
「ロサ姉は……」
「あっ、お先にどうぞ」
「え、えっと、ロサ姉はその……いつか、街に帰っちゃうのかな、とか思って。さすがに一生、この村にいる訳じゃないよな、って」
「そうですね……いずれは、戻ることになるかもしれません。こうして村に派遣されて来ているというのは、シスターとしての修行の一環ですからね。ですが、私は大きな聖堂で働くというよりは、ささやかではあっても、自分の教会を持つことが夢ですから。案外、ずっとこの村の教会にいるかもしれませんね」
「そ、それは……!嬉しい、な」
「ふふっ、そうですか。私もユート君とはずっと一緒にいたいですね」
「あっ…………」
深くは考えていないことだとわかる。こんなのに反応するのはバカみたいだ。
そうわかっているのに、ユートは顔のにやけを隠せなかった。
「私が言いたかったことも、ユート君と似たようなことだったんです。逆に、ユート君は街に出るつもりはないのかな、と。正直な話、お金を稼ぎたいのなら、街へ出稼ぎに行った方がいいですから。ユート君は二男なので、家業はお兄さんが継ぐでしょうし」
「それは……いや、でも、俺はこの村が好きだから」
気づけば教会の前に着いている。
ローサが派遣されることが決まってから再建された、かつては朽ち果てていた小さな教会は、今ではこまめに手直しをされている、ピカピカではないが味わい深い建物になっていた。
「さ、どうぞ。礼拝堂ではなく、私の部屋へどうぞ」
「う、うん……!」
ローサの私室というのは、ほとんど足を踏み入れたことがない、彼女にとって私的な場所だ。
そこに招かれることに、少し特別感……他の村人と自分は違うのだ、という優越感を覚えることができる。
「では、早速こちらのランプを使わせてもらいますね。光量が足りなくとも、それがまた味わいというものですし」
ローサは嬉しそうに書き物机の上にユートのランプを置き、ろうそくに火を点ける。
ぱっ、と小さな明かりが広がり、それと入れ替えに大きなランプの火は消された。
ほとんど机周辺しか照らしてはいないが、穏やかなろうそくの火が木製の骨組みを照らし、ガラスのものよりも温かみを感じられる。
「うん、とっても素敵です。きっと、商品にだってできますよ」
「い、いやあ、それはまだまだ……」
「そうですか?」
頭をかくユートに、彼女は穏やかな笑みを返す。
「では、お礼ですね。まずは……そうですね。少し待っていてください」
「う、うん……?えっ!?」
突然、ローサは自分の服に手をかけた。
教会の決まりで、修道女はみだりに肌を露出させてはいけない。そのため、彼女は夏場も長袖で、くるぶしを隠すほどの丈の僧服を着用している。
夏用はいくらか生地は薄いそうだが、真っ黒な布地は見るだけで暑苦しく、よく平気な顔をしていられるものだと驚いたほどだ。
そのため、ユートはほとんど彼女の地肌というものを見たことがない。それだというのに、今、彼女は目の前で脱衣を始めたのだ。
「あ、あっ…………」
見てはいけないものを見てしまっている。
そんな罪悪感はあったが、それよりも興味……あるいは性欲が優ってしまい、ちらちらと。いや、はっきりと彼女の着替えを目にしてしまっていた。
僧服の下に着ていた上着からこぼれ出す、全く日焼けしていない白い柔肌。水に濡れているかのように瑞々しいその肢体は、人ならざる神秘的なもののように感じられた。それは決して、ユートが彼女を強く意識しているからだけではないのだろう。
それほどに彼女の体は美しく、豊かだ。そんな気がする。
「ユート、見ちゃいましたね?」
「だ、だって、ロサ姉が……!」
「お礼。これでは不満でしたか?」
「っ…………!」
すっかり服を脱いでしまい、下着姿で微笑むローサ。
まさか彼女が半裸の姿を自分に見せてくれるだなんて、想像もしていなかった。性から最も縁遠い存在である修道女だというのに。
だが同時に、こんな格好を見せれば、それで自分が満足するのだ、と思われていると思うと……なんだか子ども扱いされているような気もしてしまう。
「ロサ姉。結局、子ども扱いしてるだろ」
「違いますよ、ユート。さっきから呼び方を変えているの、気づいてますか?」
「えっ……?」
「ユート、と呼んでいるんですよ」
「あっ」
ローサは真剣な眼差しをユートに向けている。
今までの優しく見守るような微笑ではなく。温かいのは同じだが、よりその熱量が強い……熱い視線のように感じられた。
「ロサ姉、それは……」
「あなたも、よりふさわしい呼び方があるのではありませんか?大人は――男女は、相手と年齢が少しぐらい違おうと、なんとか姉、だなんて呼びませんよ」
「…………ローサ」
「はい、ユート」
そう呼んだ瞬間、ぼっ、とユートの顔が燃え上がった気がする。
まるでランプの火が燃え移ったかのようだ。
「いつから、俺の気持ちに気づいてたの?」
「そうですね……5年ほど前、でしょうか?」
「ほ、ほとんど会ってすぐ……!?」
「それぐらい、露骨でしたから」
嬉しそうに笑うローサ。
「普通、男の子は幼い時にどれだけ懐いてくれていても、ある程度の年齢になれば女性からは離れていくものです。照れがありますからね。ですが、ユートは違った。その時点で、確信ができました」
「そ、そっか……ロサ姉はさすがだな」
「呼び方、戻ってますよ」
「……その、ロサ姉に呼び捨てで呼んでもらうのは嬉しいんだけど、やっぱり俺、ロサ姉のことは女の人としても憧れてるけど、人間として……っていうのかな。とにかく、すっごく尊敬してるから、呼び捨てにするのは悪くって」
しょうがないなぁ、とローサは笑う。
「では、それでいいですよ。私からの呼び方はどうします?戻します?」
「……ユートで」
「わかりました。ユートはずっと素直で可愛いですよね」
「でも、その……ロサ姉は、俺のこと」
「ずっと可愛い、弟のように感じていましたよ。私は両親を失くし、きょうだいもいませんでしたから。昔から孤児院にいたので、年下の子と触れ合う機会は多かったですけどね」
「そ、そっか。それは……今も?」
「弟と交わることを主は許しません」
そこはきっぱりと、修道女として言う。
「ですが、あなたが私のことを異性として意識していると感じてからは……それではいけないのだと、思っていました。あなたの恋情に、家族愛のような感情を返すのは失礼ですから。……そう思ってから、しばらく考えたんです。私はあなたを異性として愛しているだろうか、と」
ローサは小さく、ランプを動かしてみせる。
中の火が揺れた。
「正直、わかりませんでした。ですが、このランプがきっかけでした。これをいただいた時、ですね」
ローサはユートのことをまっすぐ見つめる。
「ときめいてしまいました。明確に、あなたを男性として意識してしまいました。――あなたは私より年下です。これを言うのは失礼と自覚していますが、物理的にも私の方が大きいですし。ですが、それでも……あなたに頼りがいを感じたんです。あなたに寄りかかってみたいな、と」
「ロサ姉……」
「なので、ユート。今日この時から、私をあなたの恋人にしてもらえますか?」
「ロサ姉……!」
「お返事は、そうですね。この唇に、いかがですか」
「………………」
ローサは少し身をかがめた状態で、彼を待つ。
ユートは飛び込むように、背伸びをして……彼女の唇に自分のそれを重ねた。
「んっ……ちゅっ、ちゅるううっ……ちゅっ、じゅっ、じゅるうううっ!ちゅぱっ、ちゅっ、ずるっ、ずっるううっ……!」
「あっ……ロサ姉…………」
唇を重ね、舌を交わし。
二人が離れる時、その口の間に唾液の橋がかかっていた。
「私は初めてでしたが、ユートは?」
「俺も、初めて……」
「よかった。では、もう一つの初めても、経験しますか?」
「あっ、あっ……!」
ローサはすーっ、と自らの股間へと手を伸ばしていく。
そして、純白の下着を少し、ずらす。
目の前で想い人の痴態を目の当たりにして、ユートは顔を真っ赤にし、もうまともに話せない状態になってしまっていた。
「遠慮はいりませんよ。むしろ、あなたを感じたいんです。ユート」
「ロ、ロサ姉、俺、俺……!」
「はい」
自分も、したい!
そう言おうとしたその時、ユートの意識はぷつん、と途切れた。
過度の緊張と興奮。それから、これ以上がないほどの喜び。
頭の中は情報と感情でいっぱいになり、そして、遂に限界を迎えてしまったのだ。
「ユート!?」
その場に崩れ落ちそうになるユートを、しっかりと抱きとめるローサ。
「……しょうがない子ですね、あなたは。でも、そんなところも……好きですからね」
そして、苦笑しながら自分のベッドへと彼を運んでいく。
「生誕祭の夜に、そのまま情事に及ぶというのは……さすがに不良修道女が過ぎましたね。これも主の思し召し、ということでしょう」
早速、くうくうと寝息を立てるユートを見て、苦笑いをしつつ、窓の外を見上げた。
黒い空からは、白い雪が散り始めている。
「明日の朝には積もっているかもしれませんね。後で、お家には伝えるとして……この続きは明日にしましょうか。教会の年末の片付けを手伝ってもらう、ということにしておきましょう」
ローサは再び服を着込み始める。
そして。
「ユート」
そう、愛おしそうにつぶやくのだった。