特別だけど特別じゃない

「先生、ノート運ぶのお手伝いしますよ!」
「えっ、いいのか?ルカ、見るからにひ弱そうなのに……」
 四時間目が終わり、食堂や購買にぽつぽつと生徒たちが向かう中、わたしは先生に駆け寄りました。
 なお、ご飯を食べに行く生徒がそこまで多くないのは、そもそも天使にとっては食事は必ずしも必要なものではないからです。
 食事をすることで、疲れを癒やすことはできますが、別にしなくても倒れはしないため、意外と食事率は低いものです。かく言うわたしも、とりあえず今日は食事を摂らないつもりです。
「お察しの通り、全く力はないですが、四分の一ぐらいはお持ちしますよ!全部をお一人で運ばれるよりはずっといいでしょう?」
「そうだな。ありがとう」
 提出された宿題のノートを職員室に運ぼうとしている先生に声をかけ、少しだけですがノート運びのお手伝いをします。
 先生はわたしにとって、すごく大切な人……エッチの時の扱いを見ていると誤解されてしまうかもしれませんが、わたしは本当に先生のことを尊敬していて、愛していて、大切に思っています。
 なので、多少なりともその苦労を肩代わりしたいと思っているのです。
「ね、先生。先生はわたしのこと、どう思っていますか?」
「なんだ、急に」
 先生が前を歩き、わたしがその後ろを少しだけ遅れて歩きながら、そんなことを話しました。
「なんでも、です。先生から見た“わたし”がふと、気になりまして」
「そうだな……正直、よくわからない生徒かな」
「ええっ!?」
「いや、そんなに驚くか?」
「驚きますよ。わたしってば、すっごくわかりやすくありません?」
「それは表面的なことだろ。接してすぐにわかるのは、頭がよくて勤勉……かはともかくとして、とにかく勉強ができて、とりあえず真面目だ。物腰も優しく丁寧で好感が持てる」
「えへへ~」
「でも、それが全部じゃないだろ」
 階段に差し掛かり、少しお互いの歩く速度が落ちます。
「結構それで全部ですよ?先生にはちょっとだけSっ気が出ちゃいますけどね」
「なんていうかな、ルカにはもうちょっとこう、深いところの何かがあるんだろうな、とは感じるんだ。それが具体的に何かまではわからないけど」
「……わからなくても大丈夫ですよ、それは。先生が知らなくても、大丈夫です」
「じゃあ、なんでわざわざ俺にこんな質問したんだ?」
 先生は、頭のいい方です。
 だから、簡単に話を終わらせてはくれません。わたしが見せた隙には、必ず食らいついてくる。
 でも、これこそが知的な会話なのだと、わたしは思います。
「わたしは先生に何か助けを求めている訳ではありませんよ。そんなの、いらないんです。実家が息苦しいとか、天才としての過剰な期待がどうとか、そんなのはどうでもいいんです。先生にどうにかしてもらいたいことじゃないですから」
「じゃあ、何を求めてるんだ?」
「わたしが、先生の生徒であること。ただ、それだけを肯定してもらえれば大丈夫です。今、わたしたちは学校にいます。普通に授業を受けている最中です。……その今は、ただの生徒と先生であること。他の生徒と変わらない、先生が受け持つクラスの子どもの一人であること。ただ、それだけを肯定してもらえれば。……わたしは、満足です」
「恋人じゃなくて、か」
 先生は声を潜めて言いました。
「はい。恋人としてのわたしは“特別なルカ”じゃないですか。でも、今はそれはいいんです。ただのルカ、大多数の生徒の一人。ただそう扱ってもらえるだけで、わたしは満足できるんです。そんな扱い、実家でも、クラスでも受けません。どこにいても、わたしは一目置かれる存在なんです。……それが、嫌なんです」
「俺はまあ……教師として、生徒は誰一人として特別扱いするつもりはないからな。でも、それって普通のことじゃないのか?」
「違いますよ」
 わたしは、きっと上手く笑えてはいなかったでしょう。
「わたしは“名家のルカ”として、先生にも特別扱いされています。成績がいいからではなく、家柄だけで特別扱いをしないといけない、そう思われているんです。……わたしね、授業中、使命されることがないんですよ。普通なら無作為に生徒を選んで発表させるはずの先生が、絶対にわたしだけを避けるんです」
「なんで?」
「“ルカお嬢様に余計な発表をさせては失礼だから”です。先生、ごく普通にわたしにノートを運ばせてくださりましたけど、他の先生はこんなことさせませんよ。わたしに肉体労働なんて、絶対に」
「それも、ルカがルカだから、か」
「はい。もしも余計な仕事をさせて怪我でもさせようものなら、どうします?言ってもわたしの家は天使としての名家なので、神様である先生たちを罰することなんてできません。でも、わたしの両親は高位の神様の右腕なので、結果的に処分される可能性はあります。それを恐れているんですよ」
「……バカらしいな。生徒を過度に特別扱いして。それってつまり、ルカにまともな教育を受けさせてないってことじゃないか。いくらルカが優秀だからって、教育を放棄するなんて教師として失格だ。むしろルカに余計なことを言って、論破されるのを恐れているようにすら感じるな」
「ふふっ、さっすが先生、新米教師のくせに、先輩批判ですか~?」
「ダメなものはダメ、だ。歳上とか格上だからって、黒を白って言うのはおかしな話だろ。……ま、本人の目の前じゃ言えないけどな」
「ふふっ、そうですよね」
 どこまでも真っ直ぐで正直な人。……神様なのに、完全ではない。人間くさい、ちょっとダメな人。
 わたしは天使として完璧にでき過ぎているという点で、天使らしくはないのかもしれません。
 それに対して、どこか不完全な先生。だからこそ、わたしたちは二人になって、ようやくバランスがよくなるのでしょうか。
「ね、先生」
「ああ」
「これからも“わたしの先生”でいてくれますか?」
「いや、俺は“ルカたちの先生”だ。それでいいな?」
「はい、合格です!」
 わたしは自然と笑顔になっていました。
「……ったく、本当に俺のことを尊敬しているなら、試すようなこと言うなよ」
「でも、そこで間違わないからこその先生ですよ。それにね……」
 わたしは先生の耳元に顔を近づけて言います。
「夜は“わたしの先生”じゃないですか」
「……夜は、な」
 何度も言いますが、楽園はずっと明るいままです。そのため、ここで言う夜とは慣用句的な表現であり、本来ならば休む時間、といういった意味合いになります。
 ですが、わたしたちにとって“夜”とは、お互いがお互いの特別になることを許す。
 そんな特別な時間のことを言うのでした。