「そうして私は、静かに死んでいったんだ。いつしか口から出てくる取引先への言葉は、当たり障りのない、そして守れる保証もない耳心地のいい言葉だった。謝ることに慣れすぎて、その言葉に誠意どころか意味すらなく、ただ定型句として繰り返す。結果、私は仕事はできたのかもしれない。嘘と建前と冗談と嘘を使い分けて、それだけで“優秀な社員”になっていった。実際のところ、私は空っぽだったのに。仕事ができたんじゃない、人を騙すのが上手かっただけなんだ。……それなのに、こんな楽園に来てしまうなんて」
わたしは学校がない日(いつでも学校はあるじゃん、という小学生並みのツッコミはなしでお願いします)や放課後、楽園をよくぶらついています。
まあ、寮の部屋にいても暇だというのもありますし、わたしは何よりも楽園にいる人間のみなさんからお話を聞くのが好きです。
楽園に来るのは“善人”ばかり。善人というのは、中々に複雑な基準をクリアーしてきた人だけを指すため、基本的には自分の善行をドヤ顔で言って回るような、イヤミな人はいません。
彼らは自分の生前のことを淡々と話して聞かせてくれました。
そして、その多くは後悔なのです。どんな善人でも。いいえ、善人にカテゴライズされる人だからこそ、たくさんの後悔を抱えています。
今日出会ったこの男性も、大変な過去を抱えているようでした。
天使のお仕事というのは、実はこういった方々のメンタルケア……のようなことだったりもします。
基本的に天使は神様のサポートをするのが第一の役割ですが、それがない時や、そもそも神様付きの役目がもらえなかった場合、人間の相手をするものなのです。
それでまあ、わたしはまだ天使見習いですので、こうやって自分の仕事をしっかりとこなしているのでした。
いやまあ、単純に面白いので好きなんですけど。
……もちろん、この「面白い」とは、意地悪なそれではありません。すごくためになるという実感があります。ちょっとだけ、しんどいですけどね。
「それでも、楽園に来たからには、あなたはよいことをしてきたのですよ。だからわたしはあなたを歓迎します。決して軽蔑したりはしません」
「ははっ……天使に愚痴ってる私が、善人か。……悪いね、天使のお嬢さん。もっと楽しい話ができたらよかったのに。……いざ人生を終えたとなると、暗い思い出ばっかり蘇るんだ。あの時のあの失敗。あんな思い通りにならなかったこと。……その最たるものが、私の人生だよ。ずっとずっと、思い通りにならなかった。でも、それから目を背けていたんだ。自分が自分が望まない生き方をしていると自覚してしまったら、もう生きていられないと思ったから」
ちなみに、天界基準での一番の罪は自殺です。
なので、自殺者は絶対に楽園に来られません。地獄は手ぐすね引いて待っているみたいですけどね。悪魔はそういう破滅願望とか、大好きみたいですから。
「お嬢さん。私は、生まれ変わったら次は上手くやれるんだろうか。……後悔しない生き方が、できるんだろうか」
「わかりません。来世に今の記憶は持っていけませんし、そもそもあなたが人間に生まれ変わる確証もありませんから」
「そうか。……ままならないものだな」
楽園に来ることを許された人は、まず間違いなく人に生まれ変わるとは言えます。
しかし、楽園に来るのはとても徳の高い人です。そういった人は場合によっては“神様の依代”となる場合があります。
神様は輪廻転生の例外的な存在であり、亡くなった場合、すぐに生まれ変わります。神様にはその絶対数が変動しないという約束事があり、神様が足りなくなって天界が立ち行かなくなる、ということがないのです。
ところが、その神様の生まれ変わりの瞬間、偶然楽園にいた人間の内、その神様に気に入られた人がいると、神様はその人間を核にして生まれ変わりをします。
結果、その人間は神様と同化するような形となり、その神様が再び亡くなるまでの間、輪廻転生から外れてしまうのです。
もっとも、その核となった人に意識はありません。ただ、神様は核となった人そっくりの容姿で、その人によく似た物の考え方をするようになるそうです。
「ですが、これはわたしの個人的な考えなのですが」
天使は神様相手ならともかく、人間相手には割と自由な発言が許されています。
「“よい生き方”をする必要って、必ずしもあるのでしょうか?後悔をしないとは、誰の目線に立ったそれなのでしょう。他の人から見れば不幸せな人生でも、その人にとっては幸せな、かけがえのない人生であった場合もあった、とわたしは聞きました。――天界は結果的に、その人の人生をランク付けするようなことをします。ですが、それは神様が便宜的に行っているだけのこと。人生の主役は、他ならない人間のあなた、ですよ」
「…………そうか」
その人はそれから、しばらくの間、考え込んでいました。
しかし、先ほどまでのように暗い表情ではないように感じます。
「君は……学校では優等生と聞いたけど」
「ええっ、誰が言ってました?本当のことなので、照れちゃいますね」
割と真顔で言ってます。
「ただ、君の考えはあまり天使的ではないんじゃないか、と思うよ。……すごく人間くさい。天界や楽園っていうのは、もっと理想論がはびこっているような場所だと思っていたのにね」
「そうかもしれませんね。わたしは人と話すのが好きな、すごく人寄りな天使ですから」
「君と話して、少し気が晴れたよ。まあ、この記憶も来世には持っていけないんだろうけど。でも、そうだな……次の人生は後悔をしたくないんじゃない。……俺らしい生き方、っていうのをしてみようと思うよ。他人に迷惑かけまくって、それでけろっとしてるような、ね」
「ふふふっ、それ、いいですね。厚顔無恥は人間の特権ですよ。人は人を裁きますが、犯罪をやらない限りはまあなんとかなりますしね。ちなみに天使が同じようなことすると、さっくりと消されちゃいます」
「君たちも大変なんだな」
「はい。天使とは名ばかりの、天界の奴隷ですからね。わたしたち」
「…………そこまでぶっちゃけていいんだろうか」
「いいと思いますよ。だって……」
わたしは、自分の口元に人差し指をピン、と立てて押し当てました。
「わたしはすごく人寄りな天使なんですから」