はじまりの日

「昔の話か?ううむ……どうにも昔の記憶はいまひとつでなぁ……。い、いや、妾の記憶力が悪いという訳ではないぞ!妾は人の家で暮らしているがゆえに、常に人の文化、文明というものを理解しようとしておる。……そして、人の文明の発達はめまぐるし過ぎるのじゃ。特にここ百年は新しいことを覚えても、もうそれが古いことになって、の繰り返しじゃ……そうこうしている内に、妾の個人的な記憶など上書きされてしまう、ただそれだけじゃ。
 しかし、そうじゃな……妾が生まれた頃のことは、いくらかは覚えておる。前も話したが、妖怪は母親から生まれてくるものではない。自然と生じてくるものじゃ。妾は今から1300年ほど前、今で言う東北地方の森の中で生まれた。無論、赤ん坊ではなく、今のこの姿のまま生まれてきたのじゃ。しかし、妾は何の知識も持たず、そもそも山林の人の家もない場所に生まれてしまったものだから、まずは人里を探すのに骨が折れた。
 三日三晩かけてようやく人里に辿り着いた妾は、人家が見えて安心したのじゃろう。そこで力尽きてしもうてな。村の者に助けられた。もう名前も忘れてしまったし、そもそもそんな昔のただの村人に名前という概念があったかも覚えておらぬ。しかし、そこで出された粥の味は今でも思い出せるのだから不思議じゃ……。
 うむ、その家の者たちが、妾の最初の家族、そして座敷童としての最初の仕事をした家じゃ。
 もっとも、妾もまだ未熟だったのじゃろう。幸せを招くといえど、ほんのわずかに運がよくなる程度で、恩を返せたのかもわからぬ。そもそも、当時の妾は人の言葉などわかるはずもない。何を言っているのかも理解できず。ただ、表情だけはよくわかった。どうやら家の者は、妾が人ではないとわかっていたらしい。しかし、そんな妾を限りある食料でもてなしてくれて……見様見真似で家事を手伝おうとしては、逆に仕事を増やしてしまっていたのう。
 しかし、妾がその村にいたためかわからぬが、段々と村全体の生活の質が上がっていってのう。結局、妾は自分の言葉で礼も言えなかったが、その家と村を去っていったのじゃ。本能であまり一つの家に長居するものではないと理解していたのじゃろう。事実、その村が豊かになり過ぎてしまえば、あらぬ疑いをかけられるやもしれぬし、妾が見つかれば何に利用されたかもわからん。……うむ、当時から妖はよからぬことを企てる人間から逃げ続けるものじゃったなぁ。
 その後、妾はやはり東北、雪深い地域の豪族の屋敷の世話になることになった。
 元から富める家に憑く必要はないのじゃが、雪国ゆえに豪族といえど、それほど贅沢暮らしとはいかなくてな。むしろ、年貢を取り過ぎては百姓が参ってしまうから、なんとか日々食いつなげる程度の年貢しか取れず、部分的には百姓の方がまだ食えていたのではないか、と思うほどの貧乏な家じゃった。こういう時、自ら食べ物を作れぬ“人の上に立つ者”は弱いと学習したのう。
 その家には、確か妾とそう変わらない年頃……いや、妾は生まれてすぐゆえ、見た目よりも幼いのじゃが、とにかく十歳かそこらの姫がいたのじゃ。妾はその姫と共に育てられ、彼女の遊び相手になり、長くその家にいた……気がする。
 う、ううむ、楽しい思い出のはずなのじゃが、どうにも記憶がはっきりせんな。妾としても詳しく話してやりたいのじゃが、今は思い出せん……いずれまた、話すことにしよう。
 ともかく、じゃ。今夜はもう遅い。早く寝るのじゃぞ、悠」

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